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2013年5月17日金曜日

アマゾンギフト券現金化ビジネスプラン

着々と貯まりゆくアマゾンのギフト券残高を見ながら思ったんだけど、今すぐどうしても欲しいものがないとか、買う予定だったけど中止になったとかで、使い道のなくなってるギフト券残高を持ってる人って、少なくないんじゃないかなぁと。

まぁ一般的にはそれほど高額の残高があることもないだろうけど(笑)、放っておくと有効期限が切れてゼロになってしまうし、いくらかの手数料を支払ってでもこれを現金化する方法はないかと考えてみました。
Aさん:アマゾンギフト券残高10,000円分保有
Bさん:売価10,000円の掃除機購入予定

1:Aさん=アマゾンギフト券10,000円分で掃除機購入(配送先はBさん宅)
2:Bさん=現金8,000円をAさんの口座へ振り込み

結果
Aさん:10,000円分のギフト券が8,000円の現金に
Bさん:10,000円の掃除機を8,000円で購入出来た
もちろんAさんがギフト券2,000円分を失ってはいますが、当面使い道のなかったバーチャルマネーが2割の手数料を支払ってリアルマネーになるのであれば、充分あり得る取り引きではないかなと。Aさんさえ納得出来れば、アマゾンでさえ損をしない、三方win-win-winの関係になるではないかと。

でもこれではあくまでも個人間の取り引きでしかないので、もしビジネス化するのであれば・・・
1:Cさん=AさんとBさんをマッチング
2:Bさん=現金9,000円を仲介業者Cさんへ振り込み
3:Aさん=アマゾンギフト券10,000円分で掃除機購入(配送先はBさん宅)
4:Cさん=現金8,000円をAさんの口座へ振り込み

結果
Aさん:10,000円分のギフト券が8,000円の現金に
Bさん:10,000円の掃除機を9,000円で購入出来た
Cさん:AさんとBさんを引き合わせた手数料1,000円をゲット
Aさんが現金化のために失う2,000円をBさんとCさんが分け合う形になっており、やはり全員がwinな関係にはなっていますが、Cさんが恒常的なビジネスとして取り組むには、さすがにもうひとひねり必要な気がしますねぇ。
1:Cさんはマッチングサイトを開設
2:Bさんさんは希望商品と希望購入額をサイトへ登録
2:それを見たギフト券残高持ちのAさんのような人が、自分の残高や現金化したい額に適したデータにアクセス
3:Aさんが内容を了解し、申し込み
4:Bさんへは取り引き相手が見つかったので、現金を振り込むようサイトから自動的にメールで連絡
5:CさんはBさんからの振り込みを確認したら、Aさんへ商品を購入するよう連絡
6:Aさんが商品を購入し、Bさん宅へ配送
7:Bさん宅へ商品が到着したら、CさんはAさんへ現金を振り込み
Bさんの振り込み完了を取り引き成立、商品の到着を取り引き完了としておけば、Cさんにとって、AさんやBさんが契約を履行せずばっくれることによる損失を防ぐことも出来そうです。

ただ、上記フローで2回ほど発生する現金移動時の手数料がネックになりそうで、ここがクリア出来れば、Cさんはマッチングサイトの開発費のリスクを負うだけで、あとは濡れ手に粟なビジネスモデルに・・・ならないかなぁ(^^;

2013年5月7日火曜日

インターネットの落とし穴

スマートフォンやタブレットの普及により、それまでパソコンの使用が前提であったインターネットがさらに便利になり、まさに「いつでも、どこでも、すぐに、簡単に、無料(または格安)で」必要な情報を手にすることが出来るようになってきました。20年前のインターネット黎明期に、将来まさかこんな状態になってしまうとは、一体どれだけの人が予想出来ていたでしょう。

このインターネットの普及は「メディア革命」とも呼ばれ、それまでメディアの代名詞であった、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌などが徐々に衰退または縮小しつつあります。もちろんこれら旧メディアがこのまま数年で消滅してしまうようなことはないでしょうが、少なくとも現在の規模や品質を未来永劫維持出来ているとは考えられません。

テレビはわずかしかないチャンネルから好みの番組を選ぶことしか出来ませんし、ラジオに至っては受信機自体が各家庭に無くなってきているという現状は如何ともしがたいところです。また、地球にやさしく!エコ生活こそあるべき姿だ!と一大キャンペーンのごとくエコを広めた新聞や雑誌は、多量の紙資源、要するに森林資源を消費してしまうまさに反エコロジーの象徴でもあり、自分で自分の首を絞めることになってしまいました。

これらテレビ離れ、ラジオ離れ、新聞離れ、雑誌離れと言われる現象は、確かに各メディア自体が既得権益の上に胡坐をかき、時代に即した変革を怠ってきたというのも大きな要因の一つですが、裕福な生活に慣れ、均一で画一的な幸せを求めるのではなく、自分らしい幸せを求めるという、多種多様な価値観の存在を世間が認めるようになってきたことも、外すことの出来ない大きな要因だと言えます。

そういった風潮にインターネットはまさにフィットしました。例えば音楽好きであれば、大好きな曲データをダウンロードしたり、歌詞を調べたり、アーティストの経歴から今何を考えているのかまで、考え得るほとんどの情報を知ることが出来ます。例えば釣り好きであれば、今どこでどんな魚が釣れているのか、どんな餌や仕掛けがいいのか、新しい竿やリールの情報、釣り大会の情報、仲間との釣り談義‥‥全てインターネット上で可能です。

実際にこれらを既存メディアで実現しようとすると、コスト云々、速報性云々以前の問題として、ほとんど不可能です。まさにインターネットの独壇場と言えるでしょう。

そしてテレビを見る時間がどんどん少なくなり、ラジオは車の中でたまに聞く程度、新聞の購読はやめてしまい、雑誌も滅多に買わなくなった。そのかわりインターネットで、必要な情報や好きな情報に埋もれる毎日‥‥。これは未来の話ではなく、既にそういう生活にどっぷりと浸っている方も決して少なくはないでしょう。


旧メディアとインターネットの違い
とても便利で素晴らしい時代になった。そうですね、確かにそう思います。でも、旧メディアとインターネットでは、情報に対する基本的なスタンスが大きく異なっている点を忘れてはいけません。それを忘れたまま現在の傾向、旧メディアからインターネットへ移行していくという傾向を加速させてしまうと、気が付いた時には「こんなはずじゃなかった!」ということになってしまう可能性があるのです。

情報に対する基本的なスタンスの違いとは、旧メディアがプッシュ型なのに比べて、インターネットは基本的にプル型だということです。プッシュ型とは、こちらが特に何もしなくてもメディア側からどんどん情報をプッシュ、送り付けてくる形式で、プル型とは、こちらが行動することによって情報をプル、引っ張ってくることが出来る形式です。

そんなことは今さら言われなくてもわかっていたという方もいるでしょうし、言われてみれば確かにそうだなという方もいるでしょう。ただ、意外とその先、要するに情報を受ける際の方法が違うことで、どんな弊害が出て来るのかまでは気付いていない人が多いのです。

私が子供の頃、家庭のテレビは居間にある一台だけで、家族中がその前に座って団欒することが多く、どの番組を見るのかのチャンネル権争いという言葉も生まれるほど、家庭の中心でさえありました。私は大好きなアニメや歌番組をよく見ていましたが、父親が大好きな時代劇も仕方なく一緒に見ました。母親が大好きなドラマも仕方なく一緒に見ました。姉が大好きだった洋画も仕方なく一緒に見ました。家庭ではどのチャンネルを選ぶのかという選択権こそありましたが、テレビのスイッチを入れている以上、好むと好まざるにかかわらず、どんどんと様々な種類の情報が送られてきたのです。

時代劇からは岡っ引き、お白州、賭場、市中引き回し、遠島、隠密、抜け荷、花魁などなど、社会科の教科書ではまず習わないだろう言葉とその意味をたくさん知ることになりました。ドラマや映画からは、自分の知らない世界のことをたくさん教えられました。それが実際何かの役に立ったかどうかは別にして、相当な知識をテレビから受け取りましたし、そこから興味を得て更に詳しく調べてみたことも一つや二つではありませんでした。

新聞だって同じです。政治や経済の記事はもちろん、ページをめくれば社会、生活、文化、スポーツ、芸能などなど、いろいろな情報が目に飛び込んできます。これがプッシュ型メディアの最大の特徴で、こちらが求めている求めていないに関わらず様々な情報を送り届けることが出来ます。また受け手の立場からすれば、興味がなく必要性もない情報でも、必然的に目にしてきました。

ところがインターネットだと自ら望んで情報を取りに行きますから、わざわざ興味のない情報、必要でない情報へアクセスするはずがありません。お陰で旧メディアで費やしていた一見無駄な情報の取得が無くなるのです。考え方によれば、非常に効率的な情報取得ではありますが、果たして効率的な情報取得が本当に理想的なのでしょうか。

インターネットのみの社会
この状況をわかりやすくするため、旧メディアが無くなり、インターネットのみとなった社会を考えてみましょう。

最新ニュースだろうがマニアックな情報だろうが、インターネットで調べれば即座に表示されます。一見これまでと変わりのない日常だと感じるかもしれませんが、ではあなたは、アイスホッケー日本代表の試合結果を検索するでしょうか?出雲大社と伊勢神宮の参拝方法の違いを検索するでしょうか?宇宙デブリ(人工衛星の破片など地球の衛星軌道上を周回しているゴミ)の回収方法の研究進捗状況を検索するでしょうか?たぶん、興味がないからしない、関心がないからしない、そもそもそんな内容自体を知らないから‥‥ということになってしまうのではないでしょうか?

もちろんそれはそれでもいいのかもしれませんが、例えばこういうように、自分の守備範囲以外の情報に触れる機会が極端に減ってしまうと、自分が何に興味があるのかということ自体が非常に曖昧になってしまいます。もともとその情報の存在自体を知らないのですから、興味の持ちようがありません。

結局、自分が知っている範囲の情報や知識はどんどん深くなっていきますが、そうでない分野は、もし知っていればとても有益であったり興味を持つだろう内容でも、とても遠い存在として目に触れることなく、手に取ることなく流れていってしまう可能性が大なのです。

確かに普段チェックしているポータルサイト(Yahoo!Japanやgooなど)には、多種多様な情報が掲載されているから、そんな心配はしなくても大丈夫だという考え方も出来ますが、それはあなたが多種多様な情報をクリックするのであれば‥‥という条件が付きます。私の知る限り、ポータルサイトを開いて、自分に興味のない情報をクリックしまくる人はいません。たまにはそういう情報の取得方法を取っている人がいるかもしれませんが、それを習慣付けていたりはしないでしょう。

いや、私はポータルサイトを開いたらやたらめったらクリックしろとか、大切な旧メディアを守りましょうなどと言っているわけではありません。ただ現実問題として、旧メディアからインターネットへの乗り換えを行うに際して、こういったデメリットがあり、それは一般生活をおくるにおいて、人が成長していく過程において、ビジネスを進めていく側面において、マイナスの影響を与えるであろうことをしっかりと理解しておく必要があるだろう、ということなのです。

また逆に言えば、もし旧メディアがプッシュ型のメリットをインターネットへ持ち込むことが出来れば、新しい展開が開けてくるかもしれません。